各地区の紹介

国見地区の紹介
イチゴと鍋島邸
国見町の歴史は古く、有史前より文化の開けたところである。
百花台遺跡や筏遺跡は旧石器時代から続く有史前先人の遺跡として全国的にも有名である。なかでも五万長者(一説には胡麻長者)遺跡は、高来郡を支配していた郡司の寺跡と考えられ、近年調査された十園遺跡と共に高来郡郡衙の一部をなす遺跡と考えられる。また、発掘調査において新たに前方後円墳(龍王遺跡)が発見されるなど町内各地からさまざまな時代の遺跡が発見されており、当町の歴史の古さ、文化の推移がうかがわれる。
また、教育面においても県下で一番古いといわれる烏兎山塾(寛政8年[1796]から嘉永6年[1853]まで続く)という寺小屋があったのも当町であり、神代鍋島藩の藩校鳴鶴舎の歴史も古い。
このようにして開かれてきた国見町は昔から郡内北部における産業経済の中心地である所以もここにある。
明治維新までは、多比良、土黒は島原松平藩下にあり、神代は神代鍋島藩(佐賀藩)に所属していた。
明治4年7月14日廃藩置県により島原藩の所属になり島原県の所属となった。
昭和12年2月11日多比良村は町政を施行する。
昭和31年9月1日町村合併促進法に基づいて多比良・土黒の両町村が合併して国見町となる。
また、昭和32年3月22日国見町に神代村を合併した。

人口9,902人名所・遊学の里くにみ
・県立百花台公園
・長浜海水浴場
・神代小路
・鍋島邸
・淡島神社
世帯数3,239世帯特産品・イチゴ
・八斗木白ネギ
・たいらガネ
・かまぼこ
人口・世帯数:平成27年国勢調査

瑞穂地区の紹介
かぼちゃと牛
瑞穂町は、昭和31年9月25日に、西郷村と大正村が合併し瑞穂村として発足。昭和44年4月1日の町制施行により瑞穂町となった。藩制時代は、島原藩所領の西郷村・伊古村・伊福村と佐賀藩・神代鍋島氏所領の古部村・伊古村に分かれていた。明治4年7月の廃藩置県で島原県、さらに同年11月には島原県が廃止され、長崎県の管轄となる。明治12年には郡制が施行され南高来郡役所の管轄となる。明治22年の町村制実施によって西郷村と伊古村が合併して西郷村となり、古部村・伊福村は組合村 を作るが大正15年には大正村となった。西郷村の起こりは、古代・中世の頃、南高北目一帯は「肥前国高来西郷」と呼ばれていた。また、「西郷氏」という豪族が、杉峰城を中心に本町から諫早方面まで勢力をふるっていたので、その名が付けられたともいわれる。伊福村は、中世の豪族「伊福氏・大河氏」が支配していたことに由来する。

人口5,124人名所・みずほ温泉千年の湯
・みずほすこやかランド
・みずほの森
・岩戸神社
世帯数1,658世帯特産品・イチゴ
・みかん
・カーネーション
・スイートコーン
・メロン
・お茶
人口・世帯数:平成27年国勢調査

吾妻地区の紹介
清流と牛
吾妻町発展の歴史は古く、考古学的な資料などによると、町の各地から発掘されている多数の遺跡や古墳からみて、縄文文化や弥生文化を発展させてきたとされ、当時から島原半島における交通・経済・文化の中心地であったと考察される。昭和29年4月に旧山田、守山村が県下のトップを切って合併し、吾妻村が誕生。さらにその10年後、吾妻町となった。

人口6,474人名所・牧場の里あづま
・吾妻町岩戸渓流公園
・守山城址公園
・山田城址公園
・守山大塚古墳
世帯数2,194世帯特産品・ブロッコリー
・玉ねぎ
・長崎牛
・米
・吾妻みそ
人口・世帯数:平成27年国勢調査

愛野地区の紹介
愛野風景とジャガイモ
愛野町の地域は明治維新まで島原藩松平家の所領でしたが、明治4年の廃藩置県により、長崎県の所轄となりました。
明治12年に行われた郡区町村編成によって、野井村と愛津村が誕生し、それぞれに戸長役所が設置されました。
明治22年、町村制実施とともに野井村と愛津村は合併して愛野村になり、昭和24年8月1日には町制が施行され、愛野町になりました。

人口5,673人名所・愛野展望台
・愛野運動公園
・愛野駅
・愛野風力発電所
・コスモス夕陽散歩道
世帯数1,920世帯特産品・じゃがいも
人口・世帯数:平成27年国勢調査

千々石地区の紹介
棚田と観櫻火宴
千々石町は、長崎県の南東、島原半島の西部に位置し、東の九千岳、吾妻岳から北を西走する千々石断層を境に、国見、瑞穂、吾妻、愛野町に接し、南は猿葉山から雲仙山系を持って小浜町につながり、西は紺碧の橘湾に臨んでいる。
地形は、帯状で海岸線より東にかけ、次第に高く、すり鉢状を呈しその中央部を雲仙連峰を源とする千々石川が貫流し、水田を灌がいし橘湾に注ぐ。
海岸線は白砂連なる白浜で、日本の自然百選の地にも選ばれている。
また、本町は藩制時代には島原藩の所領であった。明治5年大小区制度が設けられたので、本町は第5区に属したが、明治11年郡区町村編成法によって千々石村となり、昭和3年11月1日町制を施行し、千々石町となった。
人口4,614人名所・橘神社
・釜蓋城跡
・千々石海水浴場
・岳地区清水棚田
世帯1,635人特産品・棚田米
・じゃがいも
・養殖はまち
人口・世帯数:平成27年国勢調査

小浜地区の紹介
小浜温泉風景
小浜町は、波静かな橘湾にのぞむ「日本で最後に夕日が沈む街、小浜温泉」と、我が国で最初に国立公園として指定された代表的な国際観光地である山の温泉「四季折々の自然景観と地獄で知られる雲仙温泉」の、2つの泉質の違った温泉を持つ、観光と農漁業が中心の次代に向けて夢ふくらむ町です。
小浜町の歴史は古く、2千4百余年前安寧天皇の御代に温泉山や海岸温泉の有ることがわかり、すでにその利用がなされていたと伝えられています。
雲仙岳はその昔、日本山と尊称されていたが、いつしか高来の峰と呼ばれるようになったと伝えられ、和銅6年(713年)には「肥前風土記」の中に、“高来の峰の西南より、温泉の噴出するのがみゆ”と記されているのが最も古い記録であり、大宝元年(701年)に僧行基が温泉山大乗院満明寺を開基し、四面宮を合わせて祀り、山号を温泉山と号したとも伝えられています。
ちなみに雲仙岳と呼ばれるようになったのは、昭和2年新日本八景山岳の部で第1位当選や、昭和9年3月16日国立公園第1号指定を機に統一したものです。
東の富士山と並んで、特別名勝に指定されている西の名山雲仙は、四季を通じて山の姿を変えて楽しませる国際観光地として、長崎の開港とともに外国人の来遊があり、地獄には哀しいキリシタン殉教の歴史が刻まれています。
一方、海の温泉の小浜は、大治の頃(1126年)肥前権守藤原幸通の子、日向太郎通良の弟某氏が小浜氏を名乗りここを居城と定め、保元元年(1156年)高来の郡は鎮西八郎為朝の占有するところとなり、小浜城もそれに属していました。小浜という地は、もとは北村にあり、北村の大浜に対して「こはま」と呼んでいたようで、小浜に勅使が着かれたことからはじまったようです。
明治4年廃藩置県により島原県の管轄に属し、同年11月に長崎県に合併されました。明治7年には小浜、千々石、愛津、野井の4か村を第5大区として、千々石に区務所が設置され、明治11年11月北串山戸長制施行、同13年9月小浜戸長制施行、明治22年6月小浜村制施行、同年8月北串山村制施行。大正13年4月1日町制を施行して小浜村が町となり、昭和30年2月1日町村合併促進法に基づき北串山村と合併し、新しい名を「小浜町」とした。

人口8,572人名所・雲仙地獄
・雲仙お山の情報館
・とけん山公園
・小浜歴史資料館
・ほっとふっと105
世帯数3,528世帯特産品・湯せんべい
・じゃがいも
・温泉たまご
・雲仙焼
・雲仙茶
人口・世帯数:平成27年国勢調査

南串山地区の紹介
夕日
明治維新の廃藩置県により、島原県に属していましたが、明治4年11月、長崎県に合併されました。その後、大小区制が廃止され、戸長制の実施により、初代村長が誕生しました。その後、昭和44年4月1日に町制をしき、南串山町となりました。郷土史によると、寛永14年の島原の乱で村の集落民は乱徒のため殺害され、四国方面及び県・郡内から移民してきた者が多いようです。従って、近世における本村の集落形成ならびに発展史も、この時をもって始まりと見るべきでしょう。

人口3,756人名所・国崎半島
・棚畑展望台
・雲仙市歴史資料館 南串山展示館
世帯数1,202世帯特産品・じゃがいも
・レタス
・煮干し
・ハマチ
人口・世帯数:平成27年国勢調査