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南串山町

最終更新日:

○国崎(くにさき)遺跡
■縄文時代~奈良時代(約5000年前~約1200年前)

国崎半島の先端にある遺跡  
 縄文時代中期~奈良時代までの数千年間にわたる遺物が発見されています。
 縄文時代では西彼杵半島で採取される「滑石(かっせき)」(ロウ石の原料)の粉末を混ぜ込んだ特長的な土器が多く見つかっています。滑石の粉末のおかげで、土器の表面はスベスベで非常に固く焼き上げることが可能です。
国崎遺跡(国崎半島の先端、きれいな砂浜が見えます) また、矢じりや石銛(いしもり)などの狩猟具・漁猟具、食料としていた貝の殻や、魚・動物の骨などが見つかっています。その他に貴重な出土品として、石製の装身具である碧玉製垂飾(へきぎょくせいたれかざり)なども発見されています。
 古墳時代の出土品は、古墳へのお供え物によくみられる銅芯の耳飾(金環)が発見されています。
国崎遺跡(国崎半島の先端、きれいな砂浜が見えます) 
碧玉製垂飾金環
 現在は、海水浴場として整備されていますが、古代人もきれいな砂浜でのんびりと海水浴を楽しむことがあったのでしょうか。 
碧玉製垂飾金環  

○キリシタン墓碑(3基)
■江戸時代初期(約400年前)

キリシタン墓碑群(県指定史跡)
 慶長の頃(1606~1612)、あるキリシタンを祀ったものです。
 当初畑の中にあったものを、昭和の始め頃、民家裏庭の池のほとりに移されたと言われています。墓碑は3基有り、支石墓のように組まれており、上に置かれている墓碑は、扁平蓋石型で、正面に「里阿(りあ)ん」右側面に「慶長十一年」、左側面に「九月三日」と碑銘が刻まれています。大きさは長さ130センチメートル、幅57センチメートル、厚さ24センチメートル。この下に支石として組まれている墓碑のうち、1基は切妻蓋石型で、側面に「慶長十一年」の銘が、もう1基の側面にも「慶長十七年六月廿七日」の銘が刻んであります。

 昭和2年(1927)11月8日に県指定文化財となりましたが、それ以来、風雨による風化が懸念されたため、昭和58年(1958)9月20日、現在の場所に移転安置され、保護用の屋根を設置しています。
南串山町のキリシタン墓碑
南串山町のキリシタン墓碑

【参考文献】
○『国崎遺跡』南串山町文化財調査報告書第2集
  南串山町教育委員会(1989)

○『長崎県の文化財』
  長崎県教育委員会(2001)

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