| | | ■奈良・平安時代(約1300年前)
肥前国風土記に記載のある池 | 西暦700年代に編纂された「風土記(ふどき)」は全国の歴史・風俗などを記した古文書です。しかしながら全国で5国(肥前・豊後・出雲・播磨・常陸)分しか残っていません。「肥前国風土記(ひぜんのくにふどき)」には千々石町についての記載があります。 「この地では岸をヒジワという。郡(高来郡(たかくのこおり))の役所の西北にあり。この池の東の海辺には崖があります。高さ百丈余り、長さ三百丈余りです。西の海から寄せる波がいつも岸辺を洗っています。土地の人の言葉でこれを名付け、土歯(ひじわ)の池と呼んでいます。池の堤の長さは六百丈余り、広さは五十丈余り、高さは二丈余りです。池の内法は縦横二十余町ほどです。蓮(はす)や菱(ひし)がたくさん生えています。秋七、八月には蓮の根は大変旨いのですが、秋九月には香りも味も共に変わり、食用にならなくなります。」 「土歯(ひじわ)」が変化して「千々石(ちぢわ)」となったと言われています。
| | この景色のどこかに「土歯の池」が・・・ |
| | |
|
|