イチゴ農家 木下 信平さん =雲仙市国見町=
大変だけど楽しい/みんなを笑顔にしたい
◆転機はコロナ禍
サラリーマンを辞めて2022年10月、木下農園を創業。転機はコロナ禍だった。ソーシャルディスタンス、人との関わり方、仕事とは、家族とは、人生とは―。「今後」を考えた結果、地元に戻ってイチゴ農家になることを選んだ。
国見町出身。神代小、国見中、島原高校を経て九州大経済学部へ。日本経済を支える仕事をしたいと思っていた。卒業後は福岡の税理士事務所などで、新規創業を目指す人たちを支援してきた。
しかし、コロナ禍で支援してきた事業所が、営業自粛などで次々と苦境に立たされる。「自力ではどうしようもない現実があることを目の当たりにした」と振り返る。次第に、「地元に戻って何かしたい」という気持ちが強くなってきた。
◆竹林を一から開墾
実家には一面竹林になった耕作放棄地があった。21年、仕事を辞めて帰郷。約1年間、県新規就農相談センターで農業を学びつつ、約3000平方メートルの竹林を一から開墾した。雲仙市の新規就農者支援である「光り輝く雲仙力アップ事業」を活用し、ハウスを建設。イチゴ農家として独立した。
心掛けているのは「課題を先送りしない」こと。生育が悪い時は、原因と結果の因果関係を突き詰めていく。几帳面かと思いきや、「何とかなるさ」と流れに任せる一面も。創業期でほとんど休みはなかったが、「とにかく楽しい」と笑顔。3月に生まれた長女をあやす時間が一番癒やされるという。
親戚の子どもたちにイチゴをあげると、みんな笑顔になってくれるのが何よりうれしい。地元に戻って来て、大好きだったアーティストのライブは遠のいた。もう少し娯楽があればいいなとも思う。だけど、都会で暮らしていたころのストレスはなくなった。経営者としての重責はあるけれど、家族となら乗り越えられる。「日本経済を支える」仕事から「みんなを笑顔にする」仕事へ。「今が幸せですね」。イチゴの花がかすかに揺れた。
私のオススメ
サラリーマン時代、福岡から実家へ帰省するとき、雲仙グリーンロードの瑞穂大橋から見えたイチゴハウスに感動したという木下さん。夜に輝く電灯が「ライトアップしているようでとてもきれいだった」。今、自分がその一員だと思うととても誇らしい。おススメの食べ物は小浜ちゃんぽん、狸山まんじゅうの蒸しパンなどいろいろあるが、一番は「妻の手料理」。

夜に輝くイチゴハウス
※この企画は、長崎新聞社発行の情報紙「とっとってmotto!」(令和5年12月22日号)に掲載されました。また、ひまわりてれびの情報番組「デイリーひまわりTims」でも動画バージョンが放送されました。
動画はYouTubeの雲仙市公式チャンネルでも公開しています。
YouTube雲仙市公式チャンネル(https://www.youtube.com/channel/UC1upHr_WMt3sCFOfkRP6oIQ
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